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なぜ冠婚葬祭マニュアルに占いが必要なのか?

なぜ冠婚葬祭マニュアルに占いが必要なのか。これは近世までの伝統を引きずった習慣だと思われる。小笠原流礼法に代表される近世までの礼法では、陰陽道が大きな意味をもっていた。つまり冠婚葬祭は迷信が支配する領域だったのだ。ちょっと脱線すると、その片鱗として今も残っているのが、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口というあの「六輝」だが「六曜」だかいうやつであろう。近代の思考とはおよそ相容れないはずなのに、いまだにそれはカレンダーに印刷され、結婚式には仏滅を避けて大安が選ばれ、「友を引く」というくだらぬ理由で葬儀では友引が敬遠される。そのために、現在もなお日本の火葬場は友引の日が休みである。迷信であっても休日を確保する上では望ましいという労働者の立場に立った見方もあれば、何もかも年中無休のこの時代に、しかも葬儀は急ぐ必要があるのに日を選べないとは何事だという意見もある。いずれにしても、そんな迷信に公営の火葬場がおとなしく従っているのが日本という国なのだ(福岡市、京都市、横浜市のように、今は友引休業を廃止した自治体もあるが、まだ少数派である)。現在にしてなおそうなのだから、戦前の冠婚葬祭マニュアルに占いが必須項目だったとしても、私たちは笑えない。

世界に霊魂を引きとろうとする呪い

「妊婦は墓地に行ってはいけない。行くと死産になる、または流産する」とか、「妊婦は病人の臨終の部屋に入ってはいけない。入ると病人の息が絶えるのが遅くなり、病人を苦しめることになる。たとえ父母の臨終でも部屋の外にいる」などといったタブーがひと昔前にはあった。これも潜在的には胎内に霊魂が宿っているので、その霊魂に死霊が反応したり、移動しかけている不安定な霊に何らかの影響を与えるものと考えていたことの表われである。かつて難産のときによく使われた呪いに、コシキ(甑)を家の者が屋根に持って上り、それを反対の方角に向かって、わざわざ屋根の棟を越えさせるような動作を三度くりかえすというものがあった。これにより、難産がおさまって、出産に至るという言い伝えである。この風習は関西地方でよく聞かれたが、屋根棟が一つの境界を示している。そして霊魂の容れ物に擬せられたコシキをわざわざ越えさせるところに意義があった。つまり境界を往来して、こちらの世界に霊魂を引きとろうとする呪いなのである。

3つのおじぎ会釈・敬礼・最敬礼

和の礼儀の一つに「先言後礼」というものがある。京都の老舗料亭で「ようおこしやす」とあいさつしたあと、ゆっくりと手をついておじぎをしてくれる女将さんがいい例だ。言葉と動作は別々に行うと美しい。名刺交換のときにも、この「先言後礼」を心がけよう。まず「○○と申します。よろしくお願いいたします」と相手の目を見て言葉をしっかり伝え、頭を下げるのはそのあとで。おじぎには3つの種類かおる。まずは15度ほど上体を傾ける程度の「会釈」。人とすれ違うときや、入退室のときに言葉を発せずにするもので、笑顔とセットで行うこと。30度くらいの深さの「敬礼」は初対面の人とのあいさつや、送迎時などに。45度まで頭を下げる「最敬礼」は深い感謝やおわびなど、もっとも礼を尽くす場面で使うおじぎだ。仕事の相手や場面に合わせて使い分けよう。